3.11

こんにちは。

カービューティープロ 向井のムカイです。


今日は3月11日。


東日本大震災から丸三年が経ちました。


普段の生活ではあの頃感じた危機感や恐怖も

普段は思い出すことなく生活しているのが正直な所です。


今も多くの方が避難生活をされていたり、

亡くなった方の悲しみを背負いながら生きている方がたくさんいるかと思います。

嫁さんの実家が岩手県で陸前高田から1時間ほどの場所になります。

幸い津波の届く位置ではないので被害としては少なかった方かと思います。

ただ、義父さんの職場は大船渡でしたので車は津波に飲まれ、

義父さんも危ない場所にいましたが、命に別状はなかったのですが、

東京にいてもあれだけの恐怖感でしたので、

震源地に近い場所でのそれは全く別ものだと思いますし、

忘れることはできないと思います。


ただ、私達が岩手を訪れる際にはそういった部分は見せないですし、

実家の周辺は震災前と同じような感じに戻っているかと思います。


ただ、そこから車で1時間かからない場所ではまだ震災後と変わらずに

ビルから飛び出たソファ等が生々しく残っている風景があるのも事実です。


そこには普段は見せなくとも色々なものを背負って生きていく人々が暮らしています。


もちろん私達も色々背負って日々生きているわけですが、

その震災の比率としては小さいのかと思います。


そういう経験をダイレクトにした方が語る言葉と

私が震災について語るのでは重みが違いすぎます。

なので今更震災について私が知ったようなことを言うのも意味がないかと思いますので、

せめて忘れないでいることと、小さいことでも出来るようなことがればやるというのが

自分に出来ることかと思いますので、

やめないで小さいことでも続けるという意味で今回のブログは書いています。

ブログを書く事に意味はないかもしれませんが、

自分が震災を忘れないように今一度思い出すという意味では

少し意味があるのだと思っています。

なので、これを書いて誰かにどう思って欲しいとかというよりは、

今回のブログは自分のために書いていると思っています。

今、忘れかけてきているあの日を思い出すのに色々ありますが、

写真を見ると、当日の写真は実は1枚もありませんでした。

きっとそんな余裕すらなかったのでしょう。

私はその時、渋谷いたのですが携帯のテレビで目に映るまるで映画のような映像に

ただ実感の湧かないまま携帯の電池を消費して、

途中で電池がなくなったことを覚えています。

残っているのは翌日の写真。

長男といつものように散歩に行った写真

長男は当時2歳で次男はちょうどお腹の中にいました。

長男は保育ママさんの所で昼寝をしていたので

地震のことはあまり覚えていませんが、

それでもその後の余震では怯えていました。

まだ地震というのがお化けと似たようなもので、

誰かがドアをガタガタとゆらしていると思っているくらいだったので

覚えていないのも無理ないかと思います。

そんな感じなので翌日はそんな状況でも普通に散歩に行ったんだなあ…と、

今写真を見ると自分でもそうだったけ?と思ってしまいましたが、

確かにガソリンがなくなるとか計画停電とかはこの後になるので、

翌日は意外に普通の生活をしていた気もします。

なのでこの次の写真は3/27になっていました。

その間はまた写真を撮る余裕もなかったのでしょう。

人間の記憶は曖昧なもので歳を重ねるにつれて薄くなってしまうでしょうけれど、

地震というのはいつ起こるかもわからないものなので、

この記憶というのは忘れてはいけないのだと思います。

今日はその記憶を忘れないために書かせていただきました。

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