あの日のこと…

 こんばんは。

今日は震災から1年ですね。
一生忘れられない日…
あの日、私はいつものように渋谷の会社にいました。
ビルの9階…けっして新しくないそのビルも、
どこかに掴まらないと立っていられないくらい揺れました。
ファイルは散乱し、パソコンのモニターも倒れて
しかしケガもなく、外に避難し
携帯のテレビで見た津波の映像にまだ何も実感もなく、
帰宅の指示が出て、解散。
しかし家まで30キロ。
その時はまだ”無印良品で自転車買って帰ろうかな…”くらいに思っていた。
普段から人の多い渋谷なので、
青山通りを人がぞろぞろ歩いていても、
あまり普段と変わらない風景だった。
無印良品に着くと、真っ暗で誰もいなかった。
”閉店”の文字…
交番で自転車屋を聞いて、
近くのディスカウントストアへ。
まだたいして並んでいないし、
自転車もいっぱい売っていた。
しかし、友人が”高いから買うのやめるわ”と言ったので、
自分も迷って、買わなかった。
この時たしか4時前かな。
しかし、その後やはり歩いて帰るのは厳しいと思い、
引き返してディスカウントストアへ戻ったのが7時過ぎ…
もう数えるほどしか売っていなかった。
しかし、私の狙っていた自転車は少し高かったので残っていた。
今度は迷わず買うことに。
しかし、先ほどと違って長蛇の列。
自転車屋さんもずっと作業しているのでペースも落ちる。
待っている間も聞いたことのない携帯の音。
地震警報だった。
ビルには帰れなくてどうすることもできない
小さな子供を二人連れたおかあさんも…
しかし、誰も何もしてやれない…
並んでいる間、前後の人と話す。
”どこまで帰るんですか?”
”お仕事は何ですか?”
そしてやっと順番が。
準備が出来て出発したのは9時半。
もう真っ暗だ。
でも相変わらず外は人の行列と車の渋滞。
その中でも自転車はベストな選択だったかもしれない。
歩道は人であふれているが、自転車なら車道をすり抜けて
ある程度のスピードで走れる。
途中のコンビニで夕飯を食べようと思ったら揚げ物くらいしか残っていなかった。
吉祥寺を過ぎてからは歩道を歩いている行列はなくなった。
ここからは普段と変わらない様子だった…
西武線は動き出していた。(ほんの一部だけでしたが)
家に着いたのはぎりぎり12時前。
なんとかその日中に帰れた。
家の方は全然大丈夫だった…
家の中はめちゃくちゃかと思いきや、
何も変わった様子はない…
みんな無事でよかった…
夜も何度も余震で目覚めるが、
次の日、津波の被害の映像が次々と飛び込んで来た。
嫁さんの実家は岩手…
もちろん連絡はとれない…
陸前高田…
一昨年行った嫁さんのおばあちゃんのいる施設がある…
大船渡…
お義父さんの会社がある…
情報がない…
やっと連絡がとれたのは1週間後。
みんな無事だった…
お義父さんの車は津波で流されたそうだ。
でもみんな無事で本当によかった…
この自転車を買った日のことは一生忘れないだろう…
そして今日、仕事の合間に息子と久しぶりに散歩に行った時、
ちょうどその時間が来た。
ああ、あの日もそういえば寒かったな…
去年は下の子はお腹の中だったな…
キミが生まれた年は本当に大変だったんだよ…
でも、二人共元気に育っているね。
お店をやると決めたのは震災のすぐ後だった…
私の誕生日は3月26日。
35歳の決断だった…
あれから1年…
あとちょっとでお店がオープンです。
1年前の自分はそこまで出来ると思っていなかったかもしれない…
でも、あの時動けば何かが変わる気がした…
そして変わった…
あの日のことをけっして忘れないだろう…

あの日のこと…” に対して2件のコメントがあります。

  1. 雨もすき。 より:

    色々あった一年でした。
    普通の生活が どんなに恵まれていたのか考えさせられました。頑張りましょう!

  2. >雨もすきさん
    あれ?改名ですか?(笑)
    そうですね、普通に生活出来るのが一番幸せですね。あとはお店次第で普通かどうか…(汗)

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